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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12882号 判決

原告

青木村之助

ほか一名

被告

松沢運送有限会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告青木村之助に対し二四万八、二八九円、原告栄化学株式会社に対し二八万六、八〇〇円および右各金員に対する昭和四三年一〇月七日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを七分し、その六を原告らの、その一を被告らの各負担とする。

この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告らは、「(一)被告らは各自原告青木村之助に対し九九万九、三五〇円およびうち四九万九、三五〇円に対する昭和四三年一〇月七日以降、うち五〇万円に対する昭和四七年八月一五日以降各支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(二)被告らは各自原告栄化学株式会社に対し二五七万五、五二〇円およびこれに対する昭和四三年一〇月七日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(三)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二  被告らは、「(一)原告らの請求を棄却する。(二)訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  (事故の発生)

原告青木村之助(以下単に「原告青木」という。)は、昭和四三年一〇月七日午後三時四〇分頃、東京都江戸川区松江三丁目七番一一号先交差点において、小型貨物自動車(多摩四め九六二二号、以下「乙車」という。)を運転中、被告佐々木慶雄(以下単に「被告佐々木」という。)の運転する普通貨物自動車(練馬四え五九九九号、以下「甲車」という。)に追突され、頸部挫傷(鞭打ち症)の傷害を受けた。

(二)  (責任原因)

1 被告松沢運送有限会社(以下単に被告会社という。)は、甲車を自己の運送業務のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、原告らの蒙つた損害を賠償しなければならない。

2 被告佐々木は、自動車運転手として、先行車と車間距離を十分保ち、しかも前万を注視しながら運転すべき義務があるのに、これを怠つて漫然運転した過失を犯し、そのため右折すべく右側サイドランプを点滅させつつ徐行していた乙車の発見が遅れ、同車に追突するに至つたものであるから、民法七〇九条により、原告らの蒙つた損害を賠償しなければならない。

(三)  (原告青木の損害)

原告青木は、前記傷害のため、事故当日中村病院で診療を受け、ついで昭和四三年一〇月八日から同年一一月一九日まで横山病院に通院して治療を受け、また、その後、小康を保つていたが、症状が悪化し、昭和四三年一月三一日から同年七月一日まで右病院に、昭和四七年八月中旬頃まで仁和会総合病院等に、通院して治療を受け、このため、治療費二万九、三五〇円を支出したほか、一〇〇万円をもつて慰藉さるべき精神的損害を蒙つたが、そのうち三万円は被告会社から弁済を受けている。

(四)  (原告栄化学株式会社の損害)

原告栄化学株式会社(以下単に原告会社という。)は、化粧品の通信販売、外交販売を業としているが、実質的には原告青木の個人企業であるところ、同人が前記のごとく本件事故で一七九日間就業できなかつたことにより、注文済の製品を運送するため、臨時に運転手を雇い入れ、また、自動車を賃借りし、合計三万六、八〇〇円の支出を余儀なくされたほか、次のように三一三万四、四一二円の営業上の損害を蒙つた。すなわち、原告会社は、本件事故当時までは営業も順調に伸びていて、前事業年度と同程度ないしそれ以上の収支を得られるはずであつたのに、期末には前事業年度の欠損金額二万四、二二三円をはるかに上回る三一五万八、六三五円という大幅な赤字を計上するに至つたが、その差額こそ、まさしく本件事故により原告会社が蒙つた損害というべきである。

仮に右の主張が許されないとしても、原告会社は、原告青木の不就業がなければ、売上総利益において前事業年度の四五五万三、四三九円の半分位いの成績をあげることができたはずであり、しかも原告会社の必要経費は、殆んど固定経費であつて、原告青木の不就業によつても減少せず、かえつて増加するものであることを考慮すると、右金額が本件事故によつて原告会社の蒙つた損害であるということができる。

(五)  (結論)

よつて、原告青木は、九九万九、三五〇円およびうち四九万九、三五〇円に対する本件事故の日である昭和四三年一〇月七日以降、うち五〇万円に対する請求拡張申立書送達の日の翌日である昭和四七年八月一五日以降、各支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告会社は、前記金額三一七万一、二一二円のうち二五七万五、五二〇円およびこれに対する昭和四三年一〇月七日以降支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、それぞれ被告らに対し求める。

三  請求原因に対する被告らの答弁および抗弁

(一)  (答弁)

原告主張の請求原因事実中その主張の日時、場所において、原告青木運転の乙車に被告佐々木運転の甲車が追突したこと、被告会社が甲車を自己の業務のため運行の用に供していたものであること、被告佐々木が車間距離を十分保たないで走行していたこと、被告会社が原告青木に三万円の弁済をしたことは、いずれも認めるが、被告佐々木に過失があつたことは否認し、その余の主張事実はすべて不知。原告青木の傷害は、昭和四三年一一月一九日頃治癒し、その後の治療は、同原告が昭和四四年七月二日土手から車ごと約五〇メートル転落して右上腕骨骨折等の傷害を受けたことによるものであつて、本件事故と因果関係のあるものではない。仮に、昭和四四年二月から同年六月末までの治療も、本件事故と因果関係があるものとしても、その間の症状は、軽く休業する程でなかつた。また、原告会社は、もともと利益のあがつている会社ではなく、主張のごとき損害が生じたものとは認められない。

(二)  (抗弁)

乙車は、本件交差点において何らの合図もなしに急停車しそのため乙車に追従していた甲車がこれに追突したものであつて、本件事故の発生は、原告青木の右過失によるところが大きい。また、原告主張のごとく仮に、原告が予め右折の合図をしたとしても、それは、交差点の手前わずか約一〇メートルの地点においてであるから、道路交通法施行令二一条に違反していて、原告青木の過失は、否定できない。

三  被告らの主張に対する原告らの反論

原告青木が再事故に会つたことは認めるが、その余の事実は争う。原告青木は、再事故以降も、頸部挫傷の後遺症に悩まされ、治療を受けているが、右再事故は、もとより頸部挫傷の原因となるものではない。

第三証拠〔略〕

理由

一  (事故の発生)

原告青木が昭和四三年一〇月七日午後三時四〇分頃、東京都江戸川区松江三丁目七番一一号先交差点において、乙車を運転中、被告佐々木の運転する甲車に追突されたことは、当事者間に争いがない。そして、〔証拠略〕によれば、原告青木は、本件事故のため頸部挫傷(鞭打ち症)の傷害を受け、事故直後東京都江戸川区松江二丁目所在の中村外科病院において診療を受け、ついで翌八日から八王子市子安町所在の横山病院に通院して治療を受けたこと、同原告は、当初、後頭部・頸部痛を強く訴えていたため、右病院から入院を勧められたが、仕事の関係上これを断り、ポリネツクを装置したまま、昭和四三年一一月一九日まで右病院に一二日間通院して治療を受け、その時点では症状はほぼ軽快し、治癒したものと診断されたこと、その後原告青木の症状は小康を保つていたところ、昭和四四年一月末頃になり再び悪化し、同年二月六日から前記横山病院へ通院するに至り、同年六月末までの間に一五回同病院に通院して治療を受け、同年六月中旬頃も頭重感、後屈時の眩暈、空腹時における両手のふるえ、書痙を訴えていたこと、ところが同原告は、昭和四四年七月二日、浦和市内において、小型貨物自動車に同乗中、同車が対向車の軽貨物自動車と正面衝突として約五〇メートル下の地点までころがり落ちたため、右上腕骨骨折等の傷害を受け、右当日から浦和市所在の長島病院に、昭和四四年七月一九日から昭和四五年二月まで八王子市明神町四丁目所在の仁和会総合病院に入院しついで右仁和会総合病院に昭和四七年二月まで通院したが、その間も頭痛、眩暈に悩まされ、これらの症状は、上腕骨骨折が治癒した昭和四六年一一月一六日後も、消失していないことが、いずれも、認められ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定の諸事実に鑑みると、他に特段の事情の認められない本件では、原告青木の受けた頸部挫傷による症状(鞭打ち症)は、昭和四三年一一月一九日頃には一旦軽快し、その後小康を保つていたが昭和四四年一月末頃再び悪化し、以後通院していたところ、再事故によるその受傷とあいまつて、長期の治療を余儀なくされるに至つたものと認めるのが相当である。被告らは、原告青木の昭和四四年七月二日以降の症状は本件事故と因果関係のない旨主張しているが、前記認定の再事故直前における同原告の症状や再事故によつて同原告が頭部ないし頸部に重大な損傷を受けたことが推認されることからすると、同原告の昭和四四年七月二日以降における病状の大部分は、再事故に起因するとはいえ、本件事故による受傷の寄与していることを全然否定することは、許されないものというべきである。

二  (責任の帰属)

被告会社が甲車を自己の運送業務のため運行の用に供していたものであること、被告佐々木が甲車運転に際し、先行の乙車との間に十分車間距離を保たないで走行したことは、当事者間に争いがない。

そこで、まず、被告佐々木に過失があつたか否かを検討するのに、〔証拠略〕によれば、本件事故現場は、小管交差点と宇喜田橋とを南北に結ぶ車道幅員約一一メートルの歩車道の区別のある舗装道路と、幅員六ないし六・四メートルの歩車道の区別のない舗装道路との交差する十字型交差点であつて、交通量が多く、時速四〇キロと制限速度規制がされてはいるが、交通整理は行なわれていないこと、原告青木は、乙車を運転し、右交差点に向つて南進し、同交差点で右折すべく、時速二〇キロ前後に減速し、約一〇メートル手前で右折の合図をなしてから一旦停止したところを甲車に追突されたこと、一方、被告佐々木は、甲車を運転し、乙車と約二〇メートルの車間距離を保ち、時速約四〇キロの速度でこれに追従していたが、前方注視を怠つたため、減速のうえ右折の合図をしている乙車の動静に気付かず、乙車が右折態勢にあるのを約一一メートルの至近距離に発見し、約五・四メートル進行した地点であわてて急制動の措置をとるとともに、左に転把して衝突を回避しようとしたが、降雨のためスリツプしたこともあつて、乙車の左後部バンバーに甲車右前フエンダーを衝突させるにいたつたことが、いずれも、認められ、右認定に反する被告佐々木の供述部分は措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかして、以上認定の諸事実によると、被告佐々木は、自動車運転者として、前方を注視し、しかも先行車両が急停止してもこれとの追突を避けうるよう必要な距離を保つて走行しなければならない義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と走行した過失により本件事故を惹起するに至つたものであるというべきである。したがつて、同被告は、民法七〇九条の規定に基づき、原告らが蒙つた損害を賠償しなければならない。また、被告佐々木に過失がある以上、その運転に係る甲車の運行供用者たる被告会社も、自賠法三条の規定に基づき、原告らが蒙つた損害を、被告佐々木と連帯して、賠償しなければならない。

もつとも、他方、原告青木においても自動車運転者として右折に際しては交差点の手前三〇メートルの地点で所定の合図をなすべき義務があるにもかかわらず、それが遅れて、わずか一〇メートル位い手前の地点で合図をしたにすぎなかつたことは、前記認定のとおりであるとはいえ、それまでにすでに減速していて被告佐々木が前記説示のごとく前方を注視し、先行車の減速に伴い自車を減速する等して適切な車間距離を保つていれば、本件事故を回避し得たこと前記認定の諸事実に徴して明らかであるから、原告青木の右過失は、損害額の算定に当り斟酌しなければならないものとは認められず、したがつて、本件では過失相殺をしないこととする。

三  (原告青木の損害)

(一)  治療費

〔証拠略〕によれば、原告青木は、本件事故により、中村外科病院における治療費一、五〇〇円、横山病院における昭和四四年二月中旬頃までの治療費(文書料を含む。)二万四、三五〇円を支出したほか、ポリネツク(コルセツト)代として三、五〇〇円を支出していることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、前記認定に係る原告青木の傷害の部位・程度および治療経過に照らすと、右支出は、本件事故と相当因果関係にあるものと認めるのが相当であり、この事故発生時の現価は、二万八、二八九円である。

(二)  慰藉料

前記認定に係る本件事故の態様、原告青木の蒙つた傷害の部位・程度、その治療経過のほか、後に認定するように、同原告の運営する原告会社の営業上にも重大な影響を与えた等諸般の事情を考慮すると、本件事故により原告青木が受けた精神的損害は、二五万円をもつて慰藉されるべきものと認めるのが相当である。

(三)  損害の填補

原告青木が、本件損害に関し被告会社から三万円の弁済を受けたことは、当事者間に争いがない。

四  (原告会社の損害)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。すなわち、

原告会社は、化粧品の製造・販売・卸を業とし、従業員一二三人を擁する資本金五〇万円の会社であつて、株式の過半数は代表取締役である村上常太郎が所有していること。原告青木は、かつて同一製品を扱う会社「栄すみれ」を経営していたが、同社が負債超過のため昭和三五年三月三一日倒産した際における債権者らの発案に基づき、昭和三五年四月一日原告会社が設立され、筆頭債権者であつた株式会社寿商会の村上常太郎がその代表取締役に就任したとはいえ、業務一切は挙げて原告青木に委任され、同原告が一人でその運営に当つていたこと。原告会社は、毎期僅かではあるが欠損を出しており、原告青木の役員報酬は、事故前事業年度の第八期(昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日まで)が年七二万円、第九期(昭和四三年四月一日から昭和四四年三月三一日まで)が年八四万円であること。原告会社では、本件事故当時、男子従業員は原告青木のみであり、他はパートタイマー制か、日給制で働らく女子の工員または事務員であり、製造から販売、集金に至るまで、すべて同原告の双肩にかかり、特に販売関係は、同原告一人で行なつており、当時、原告会社には直取引先が約五〇軒、通信販売先も同じく五〇軒位いあつたが、本件事故のため、原告青木が昭和四三年一〇月八日から同年一一月三日までと昭和四四年一月末から同年六月末までの間は出社しても外交販売に当ることができなかつたことにより、原告会社の成績は振わず、第八期の決算では、期首商品棚卸高六六四万七、一四三円、期末商品棚卸高五九五万七、二七〇円、仕入高二、二五二万三、二五一円、仕入および棚卸差額を除く経費(以下、単に「一般経費」という。)四五七万七、六六二円であつたのに対し、売上が二七七六万六、五六三円で、営業損失はわずか二万四、二二三円にすぎなかつたが、第九期の決算では、期末商品棚卸高四七九万七、〇一四円、仕入高二、三三一万一、〇八二円、一般経費五四七万八、九八五円であるのに対し、売上は、二、六七九万一、六八八円と少なく、結局、三一五万八、六三五円の損失を出していること。原告会社は、前記各期間中も原告青木に対して毎月七万円の役員報酬を支払つたほか、同原告が受傷前の注文分を配送するため、臨時に運転手を雇傭し、また自動車も賃借りして三万六、八〇〇円を支出したこと。が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告会社は、原告青木の運営に係るいわゆる個人会社であつて、経済的には原告青木と一体の関係にあるものと認めるのが相当であるから、原告青木の受傷によつて逸失した原告会社の利益は、本件事故と相当因果関係のある損害として、被告らにおいて賠償すべきものというべきである。ところが、その逸失利益の金額が幾許であるかは、前記三万六、八〇〇円のほか、これを直接認めることのできる証拠はないから、算定必ずしも容易ではないが、右認定の諸事情および前記認定に係る原告青木の傷害の部位・程度治療経過に鑑みると、原告会社は、前記三万六、八〇〇円のほか、少なくとも、事故当時の現価としても、原告青木の不完全な就業にも拘らず支払つた報酬相当分二五万円の損害を蒙つていると認めるのが相当である。なお、原告会社は、営業損失の差額相当ないし第八期売上総利益(売上高から売上原価を控除した差額)の半分相当が損害であると主張しているが、原告会社の逸失利益を、営業損失や売上総利益を基礎として算定することはできない。蓋し、第八期に比べ第九期において、原告会社が大きな営業損失を出したことは前記認定のとおりであるが、原告会社の第八、第九期の各棚卸高、仕入高、売上高、一般経費を対比してみると、第九期は第八期に比べ、多額の一般経費を費消し、前期以上の数量を販売しているのに低い売上しかあげられず、そのため大幅な営業損失を出すに至つたことが推認されるばかりか、このような低い売上しかあげられなかつた事由が何辺にあつたかを認めることのできる証拠もないから、原告会社が、原告青木の受傷によつて、売上等に影響を与えているとしても、それがどの程度であるかを認めることはできないからである。

五  (結論)

してみると、被告らは、各自、原告青木に対し二四万八、二八九円、原告会社に対し二八万六、八〇〇円およびこれらに対する事故発生日の昭和四三年一〇月七日から支払い済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをすべきであるから、原告らの本訴請求を右限度で認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を、各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 田中康久 大津千明)

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